2013年10月3日木曜日

アクロバット飛行についてのインタビュー


道内広報誌への記事掲載にあたって、(有)アルゴ地域総研の小椋さんよりインタビューを受けました。そのテープを起こしてくださいましたので、ここに掲載させていただきたいと思います。

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グライダーアクロバット飛行について(語り手:梶 聞き手:小椋) 

Q:曲技飛行を始められたきっかけはなにか?
もともと自由に空を飛びたいという思いを持っており、ハンググライダーやパラグライダーに興味を持っていました。飛んでどこかに行きたいというより、自由に空を飛びたいという思いが強かったんです。広島出身なんですが、大学で静岡にきました。そのときにたまたま清水港でエアロックのエアショーを見て、天地がひっくり返るほどの衝撃を受けました。20歳くらいのときですね。

Q:現在30歳だったら、まだ10年くらいしか経っていないですね。実際に練習を始めた経緯を聞かせてください。
しらべてみると、飛行機のアクロバットは高いし外国でしかできない。でもグライダーでもアクロバットできることがわかり、しかもグライダーの基礎的な飛行なら近場で習えることがわかりました。電車で30分くらいのところに見つけた富士川飛行場でグライダーの訓練をはじめたんですが、そこにREDFOXというグライダーアクロチームが巡回でやってきて体験飛行をさせてもらったんです。そのときチームオーナーの鐘尾(みやこ)さんに、アクロバットをやりたいのならポーランドの先生を紹介するよと言われて・・・その人がイージーマクラーさんという方で、これまで7回世界選手権で優勝している有名な方でした。紹介されて以来、免許を取って、いろいろな要件を満たしてポーランドに行きました。

Q:世界レベルの先生を紹介するならば、それなりの経験を何年も積んだ上でというお話ではないんでしょうか?
「練習して免許を取ったらすぐにでもポーランドに行ってもらうよ」というようなお話でした。

Q:ポーランドへ行く前はある程度、日本でも練習を積み重ねていたんですね。
少しですね。北見の加藤さんにも一緒に乗ってもらいました。板倉滑空場では櫻井玲子さんに乗ってもらって、FOXで10回ほど練習したくらいです。あと、私はカナダでプロペラ機(陸単)の免許も取っているんですが、そのときに、シタブリアという飛行機で自分で1人でやっていたんです。ただ、その経験もあわせても、かなり未熟な状態でポーランドに行きました。それほど、丁寧にきちんとやったわけではないんです。

Q:ポーランド語を勉強して行ったんですね。
いえ、片言の英語でお互いやり取りしていました。マクラさんが角田滑空場に来られたことがあって、その時にredFOXのエアショーがあって、その手伝いに行っていたのでそのときに紹介してもらって面識ができました。そこで「来年行くからよろしく」というお話ができました。最初2週間行って、その後2週間後に、また2週間という感じで、1年目は合計1ヶ月くらい訪問して訓練しました。そのときにヨーロッパ選手権にも出ました。

Q:4週間訓練するだけでヨーロッパ選手権に出場できるということが理解しにくいんですが・・・
アクロバットならそれが可能なんです。例えば、ソアリングの世界選手権なら10年の訓練が必要などと言われるんですが、アクロバットだと短期間の訓練で世界選手権に出ることが可能なんです。アクロは限られた空域のなかで安全に飛んで、ただ降りてくればいい、それだけなので・・・。

Q:曲技というのはどういうスポーツなんでしょうか。その本質についてわかりやすく説明していただけますか。
曲技とは何かというところを追及しだすと際限がないですが・・・簡単に言うと飛行の正確性や美しさを求めるものです。例えば宙返りを描くにしても、その航跡が真円でないといけません。真円になるための過程は無限に近くて、とても難しいです。ちょっと間違うと縦長になったり、降りてくるところが低かったりとかします。ひとつひとつの技が理想的な形でなければいけないので、それを飛行のなかで体現していくのは非常に難しいです。

Q:そうですね、手で円を描くのでも非常に難しいですね。


―重力Gと演技について―

グライダーアクロバットは+7Gから-6Gの範囲の中で飛行します。プロペラ機は+10~-10Gくらいのなかで曲技をします。+の重力では体が押さえつけられ、-のGでは浮く力を受けるのです。直立した状態では+1Gで逆立ちをしているときには-1Gを受けている状態です。Gを受けながら演技をするのは、最初は大変ですが、少しづつ慣れてきます。最初はもちろん、緩やかなGのもとで飛行訓練をします。
強いGをかけなくてもできるアクロバット飛行もたくさんあります。練習のなかで自分が耐えられる無理のない範囲、自分に見合ったGのなかで演技をすればよいのです。楽しみ方はいろいろありますし、強いGに耐えなければいけないと考えることもありません。
マイナスGで頭に血が上り、なかには目の裏の血管が切れて目が真っ赤になったりする人もいます。アドバンストからアンリミテッドくらいの競技レベルでそのような状態になります。この+7Gから-6Gは世界のトップレベルの競技者が受けているGです(プロペラ機アクロだと+8から−8くらい)。滝川のショーでも+6~-4Gを受けています。

Q:デモの方が自由にやれるから、強いGを受けながらでも強引に派手な演技をすることはあるのか?
それはやらない。やる必要がないから。(そこまでしなくても、十分魅せることができるから)。競技では限界に近い軌道を求めます。そのためにGが必要になってくるんです。これに関して言いたいのはループだけなら+2Gでもできるということです。ループだけで曲技として満足の人がいれば、その人はその範囲のなかで曲技を楽しむことができます。人それぞれの目的に従ったやり方があることを強調したいのです。

―曲技と通常の飛行の分け目を無くしたい―

これまでの話の根底にある共通の考えとして、これは曲技なんだ、これは通常に飛行なんだという分け目をなくしたいというのがあります。エアラインや空撮など普通の飛行機は、同じ高度と方向を保って水平直線飛行をやっていますが、曲技にも同じ種目があるんです。(すなわち、普通の飛行機も種類は少ないけれど曲技の種目を選んでやっているんだということです。)水平直線飛行も宙返りも(ループ)も曲技の種目が増えただけで同じようなことをやっているのに、円の形を描いて飛ばすことだけが(一般の人々には)特別なことに思えるのか・・・そういうことではない。直線飛行も円を描くことも全部つながっているんです。直線に飛ばしたいと思ったら直線に飛ばして、曲線にしたいと思ったら曲線にする。飛行機を思い通りに操るという意味では、どんな飛行機でもやることは同じです。


―パイロットの心―

Q:真円を描くには操縦桿を固定すればいいということではなくて、飛行機が真円の軌道をえがくように操縦をしなければならないんですね。操縦桿を(目一杯引いて)固めればいいということではないですよね。
外部条件、気流の条件などが常に変化しています。それにあわせて操縦を行なわなければならないんです。どこかを止めると言う事はどこかを動かすということなんです。

Q:梶さんが追求されているのは「美」として操るということですか?真円を描くとか、水平直線を描くとか・・・美を追求しているという言い方がわかりやすいんでしょうか。ちょっと、真円が欠けても満足できないわけですね。でも、これは自分では見えないんではないですか?
そう、自分では見えないんです。地上からの意見を聞きながら・・・うまくいった時の操縦の仕方だとか・・・景色の見え方とか・・・(それが操縦技術のなかで一体化してどこまで真円に描けているかということが実感できるようになります)

Q:それが快感なんですね。
正直快感とおもったことはないが、無心の状態ですね。その一瞬を生きているんだということだと思います。自分を外から見て「自分は楽しんでいるんだ」という風に思ったことはないんですが、やっぱりやらなきゃいけない、やることが自分のなかの自然なこととして・・・。でもレジャーとしてアクロをやる人であれば、飛ぶことで非日常を感じるんだと思います。しかし自分の場合は、そのときに生きているということしか言いようがないんです。

Q:野球を好きでやっている人が、うまくなりたくて練習していると、その練習が辛くてやめたいと思う。しかし、離れてみると、また、うまくなりたくて練習をしたくなるというような感覚ですか?
辛いというような感覚はあります。しかしそこから離れたいという風には思わないですし、常に練習してうまくなりたいという思いがあります。しかし、飛んでいるときはまた違っていて、自分の意思とか感情が、完全に世界に向けて拡散している状態、自分の境界が消えていて、空気があって、重力があって、飛行機があって・・・そのなかにただいるだけ・・・飛行機が求める飛び方をやるだけ。

Q:そのように頭で考えることを単純化させていかないと、速度の速い演技(操縦)をするのは難しいということなんでしょうか?
考える時間が無い、というのはあります。考える必要も無いですね。例えば「楽しい」なんていう言語化された感情なんかも雑念だと思うんです。勝ちたいとか、悔しいとか、そのときの自分のやっていることを考えるとか・・・、歩いているときに自分のひざの関節の動きなんかは考えないですよね? それと同じことで、考えるということが既に雑念であって・・・。競技中にミスをしたときなんかに、ここはなにをやるべきだったんだろうか、まちがえたんじゃないだろうか・・・そんなふうに考え始めてしまうと飛行がグダグダになります。

Q雑念がはいってしまうと競技としてはダメになってしまうということですね。自分を単純化するということは結構な快感でしょうか?
 後から考えるとそういうことなのかもしれません。

Q自分をシンプルにして何かに打ち込んでいるときは、或意味楽しいんでしょうねぇ、へらへら笑って楽しいというのとは別の楽しいと思える瞬間なんでしょうねぇ。
また、空に上がらせるだけの何かがあるんですよね、それで。スポーツとかやっている人だったら共通に感じているものかもしれません。スポーツでもダンスをやっているときでも、ああ、そう、音楽を聴いているときにでも・・・時間も場所も忘れて、自分は誰でなんてこともわすれて聴き入っています・・・。


―怖くないのか―

怖さという感覚は、実は作り出されたものだと思います。ラインなど通常の飛行をやる人は水平直線飛行をやるけれども宙返りはやらない。しその境界線は本来ないにも関らず、水平直線飛行は怖くないのに、宙返りは怖いという。水平直線飛行に慣れればなれるほど、たくさんやればやるほど、宙返りが怖くなる。だから、通常の経験豊富なパイロットほど、アクロバットを恐れるんです。怖いと思わされているんです。つくられた概念なんです。飛行機を始めたばかりの人にとってはどんな姿勢も(怖さという意味では)変わりません。最初からアクロをやっていればそれが普通の飛行です。アクロパイロットはリスクや怖さと言うものをかなり具体的に捉えていて、このときに何があるから怖いとか・・・。見慣れない姿勢だから怖いというような漠然とした言い方は非合理というか、全く意味が無い。

Q:直線飛行の場合には一番制御できる感覚があるのだろうと思います。姿勢が通常の逆で頭が地面に近くて足が空に向いているというのは、頭から地面に落ちていくという危険性があるので怖いのだろうと思うんですが・・・
このまま落ちるかもしれないというのは、それは、飛行機を制御できていないという風に思ってしまうためでしょう。もし、本当に落ちていればどんな姿勢でも怖いんです。しかし、制御できていることを認識していると怖くないんですよ。最初は水平直線飛行だって思い通りにコントロールできないから怖いんです。逆に言うと、逆さまの姿勢だろうと、どういう姿勢であれ、それに慣れてコントロールできる自信があれば怖くないんです。コントロールできないところが怖い。

Q:つまり、怖さと言うのはコントロールできるかどうか、できているかどうかということだけなんですか。
コントロールできていて、自分が何をやっているか、どういう状態にあるか知っているということでしょう。そして次にどうなるかが予測でき、次の手がわかるということでしょう。アクロの場合は予知できることしかやっていなんです。予知できないものが入り込む領域がかなり少ない。そこがクロスカントリーとの大きな違いかもしれません。

Q:不測の事態、予見できないことが起こる可能性が少ないということですね。
飛行にとって一番予見できないものは気象です。クロスカントリーだと飛行時間も長いし、場所も次々と移動します。いろんな変化する気象に遭遇するわけです。アクロバットだと上がってしまえば1キロメートル四方の10分間のことさえ知っていればいい。

Q:それは逆に言うと管理された環境のなかで飛行するということですね。これは、先ほどの「自由に飛びたいからアクロなんだ」ということと相反することともいえますね。本当は非常に安全なところを管理下にしてやっているんだということですね。こういうことを考えていくと自分が求めているものとやっていることとの矛盾が出てこないですか?
常に矛盾だらけです。自由とか制限とか・・・そのかなで自由とおもわれるものを追求しているんですね。


―難しくないのか―

Q:一般には、アクロバットは失速させて反転するなど普段の飛行では考えられないことをやっているから、当然難しいことをやっていると考えるが・・・
そこにもつくられた側面があって、例えば通常の飛行機が着陸前に行なう旋回は非常に難しい高度な技術がいるのです。通常の飛行のパイロットは操縦の基礎段階からやります。宙返りは操縦桿を引きさえすればなんとなく出来てしまいます。でも旋回の場合には操縦桿を引くだけではなくて、複数のことを同時にたくさん行なわないといけない。

Q:ソロに出る許可が出た練習生の段階から曲技をやる人はいるんですか?
あまりいないです。ソロに出れるからといって、突然、曲技ができるということではありません。飛行機を飛ばして(離陸して)降りてくるという流れの中で宙返りをする必要はないので、そうしたことを習わないのです。

Q:単に離陸して飛行して旋回して着陸する行為の一環として、なぜ、宙返りなどの技術を学ばないのでしょうか?
必要がないということと、練習機はそのために設計された飛行機ではないということがいえます。曲技機は、背面飛行などが可能な性能をもつように構造上の設計がなされている。通常の飛行機はそのようには設計されていない。だから、練習生はその目的で設計された飛行機を設計の目的どおりに操縦している。とはいえ背面飛行ができないような性能の低い飛行機でも自由な飛び方(旋回なども含めて)をしようとする、これはアクロバット飛行と同じ創造性の発露であり同じ精神です。限られた性能のなかで目一杯自由に飛んでみること、これは曲技と一緒なんです。

Q:そういわれれば、通常の飛行機と曲技機が全く別のもので、曲技機専用の操縦性能の高い飛行機があるということは一般の人はあまり知らないことですね。(だから、通常の飛行機で曲技をやっていると思っているから、なんであんな難しいことができるのか、余計に不思議に思うんでしょう。)
飛ぶということには、飛行機の構造上の制約だけではなくて、制度的な制約、身体上の制約などいろんなところから制約がかかっています。飛行機は目的地にまっすぐ飛ぶもんだと言う固まった考え方(制度的な制約)からもっとも自由になりたがっているのがアクロバット飛行です。飛行機の構造が求める動きをひたすら追求しているんです。

Q:赤ん坊から少し大きくなった子供が2足歩行できるようになると、転がってふざけたり、地団駄踏んだり、スキップしたり、片足でけんけけん歩きしたりします。もう少しおおきくなると逆立ちしたり、前方回転や横回転したりしますね。
そうした行為は特別に難しい行為ではなく身体の成長とともに本能的に行なわれる行動ですよね。しかし、どうでしょうか、親は子供を連れてどこかへ出かけるときに、子供がふざけて遊ぶことをなるべく禁じて、常に、ある目的をもって歩くというような行為しか認めない場合が多い。しかし、子供は歩くこととそのなかに内在している、歩くこと以外のふざけるという行為を常に行なおうとします。子供はただ目的地に向かって歩くことだけでは満足せず、走ったり、おっかけっこをやったり、ふざけながら歩いてみたり、いろいろやります。体や心身の能力がそれを求めているのです。普通に歩いて座って寝るといった行為しかさせられなければ、大人になってから、回転してみなさい、横転してみなさいといわれると非常に怖くなるんではないでしょうか。アクロバットもそれと同じです。飛行を始めたときから、回転したり、横転したり、宙返りしているとそのことが楽しくて、何も怖いというような特別なことではなくなるし、特に難しいという操縦でもなくなるんです。

Q:アクロバットをやっていて、そうした本能的(に自由に飛びたいから飛んでいるんだ)なものを感じることはありますか?
感じるかと問われるとはっきりとそうだとは答えにくいのですが、人間誰でもが持っている創造性でしょうし、アクロバットは飛行機の性能上できることを追求していくという面はあります。創造性を失わせて一つの方向だけに固めてしまうものから逃れようとしています。

Q:要は、飛行機に備わった能力を飛行機と一体となって操縦(引き出)していけばいいのであって、そもそもそれを飛行機が求めているわけですから、それは容易で自然にできることなのですね。こういう考え方をもっと広めていく必要があるような気がしてきました。特に、通常の目的地にだけしか飛ばないパイロットたちから広めていかないといけない気がします。
そうですね。まさに、私もそう思います。


―アクロバット飛行はその人の性格が出る―

アクロバット飛行はその人そのものが出ます。私の師匠(マクラさん)は雄大で荘厳なものを求めていて、地上での動きもおおらかなんですよ。飛行自体もおおらかで優雅なんです。逆に、地上で攻撃的な人は競技でも攻める競技をします。地上で論理的な人は論理的なフライトをします。個性がそのまま飛行に表現されます。自動車では隠れた性格が出るといいますが、曲技はそのままの性格が出ます。

Q:車だと普段、おとなしい人でも車に乗ると人が変わって暴力的になるとかありますが、そういう風にはならないということですか?
そういう人はあまり見たことがないですね。おとなしい人はおとなしい曲技をします。車は邪魔が入るんでしょうか、邪魔が入ったときにその邪魔をどう排除しようかと、いろんな車がいる中で(ひしめきあっているなかで)、パワーが引き出されているから余計に奥の感情が出てくるのかもしれません。アクロバットでは飛行機の性能を目一杯使った演技をします。しかし車の場合はその性能を目一杯使うことが許されずに非常にジレンマのある状態で運転させられているということがある。そして、そのパワーを引き出そうとすると、社会的に抑圧された奥の性格によってそのパワーを引き出す(暴走する)という行為になってしまうということなんでしょうか。逆に、アクロバットでは邪魔も入らないし、他人とコミュニケーションすることもありません。ただ、1人で黙々と演技をしますので、素のままの自分が出ます。自分自身を抑圧するような邪念が入らない状態で、能力を目一杯拡散させようとします。そのような状態では、素の自分になっているときがもっとも良い演技ができるからだと思います。素のままの自分でいられるし、それがベストな状態だとわかっているのです。ピアノの演奏などは脱力した状態がもっともいい演奏ができるといわれますね。それと同じようなことがいえるのでしょうか。自分というものに意識が向かなくて、ばあっと自分が拡散していって性能を最大限出しているという状態。何からも抑圧されていなくてただ単に自分の思い通りに・・・・

Q:内側に抑圧するものがなく、能力を目一杯拡散するということですね。

―怖い思いをしたこと、事故にあうかもしれにような事態にあったこと―

曲技の練習や競技のなかで怖い思いをしたことはありません。しかし、そうではない場面での飛行では何回かあります。たった15分の飛行と言えども空の天気は急に変わります。そのへんの天気の知識が弱いために兆候を読み取れなくて怖い思いをすることがあります。例えば、雷雲が迫ってきているのに、まだ大丈夫だと思って曲技の訓練をやっていました。そしたら、意外とはやく雷雲がせまっていて、それほど離れてもいない飛行場に戻るときに、突風に煽られてたいへんな思いをして戻りました。だから、アクロバット以外の飛行に関してもいろいろと勉強や技術を積んでいかないといけないと思っています。また、限られた空間だけで演技したり競技することに慣れすぎると、その空間以外の条件がどのようになっているのかを見落としがちです。

Q:世界選手権などでの競技ではベストな気象条件を求めてエリアを設定するというより、ベストな気象条件がそこに現れるのを待っているわけですね。
アクロバットの競技は定められた1キロメートルの立方空間のなかで、演技を行なうものです。限られた空間で、しかも、風雨など気象条件などの影響を受けにくいベストの条件の下で行ないます。ベストな条件で競技を行なうために競技が1週間も延期されることがあります。今日も風が強い、雲が低いなどと言って1週間も待つことがあるんです。エアショーなどでは、気象条件が悪いときには、飛ばない勇気が特に要求されます。これは、どのようなスカイスポーツでも同じことが言えるのですが・・・。

―アクロバットは禅のようで内向的―

Q:アクロとクロスカントリーや通常の飛行では、精神的な気のつかいかたも違うわけですね。
アクロは禅のようでより内向的に自分の内側にこもっていながらにして抽象的な世界に広がっていくような感じですが、クロスカントリーは具体的にいろんな場を求めてより遠くへ出かけていきます。いろんな気象条件との付き合い方もしらないといけない。ある意味とても社会的です。模式図に描くと、アクロは自分の自己の境界線があったとして、志向として常に内側に向かって行って、どんどん究極的に集約された点に向かうんですが、向かうことによってこの境界線を無限の領域に広げていく。内にこもることによって全体に開く、という感じがあるんです。クロスカントリーはおそらく自分から積極的に自分の境界線を変形させて、新しい環境に適応しながら外へ外へと開いていき、積極的に外部からのかく乱を求める。それによって・・・。

Q:外部の追及も受けながら自分の主張もするよということでしょうか。
そうです。それによって自分の境界線を無限に広げていくということです。アクロとクロスカントリーではマインドが全然違います。


―どんな人がアクロバットに向いているか、どんな人に参加してほしいか―

目が見えている人でアクロが好きな人なら誰でも向いているということしかいいようがありません。もしかしたら、目が見えていなくてもよいかもしれない。

Q:自分の場合に、他人と比べて、自分は向いていないとか、人より劣っていると感じたりすることはないですか?
自分に劣っている点を見つけたり、できないことや課題があるとより楽しくなってきて、また頑張ろうと燃えてきます。向上心を常に持ち続けています。課題を見つけるのが楽しみであって、それが生涯スポーツと呼ばれるところでしょうか。課題をどんどん見つけて、新しいことに挑戦して・・・。とにかく、向いていない人がいるということを絶対に言いたくない。その意味は、その人の限界があるならばその人の限界のなかでやることができるからです。本当に危険な人だったら、教官と一緒に飛べばいい。
劣っていようが向いていなかろうが、「誰でも自由になれる」ということははっきりといっておきたいと思います。自分の求めるものを一歩踏み出せばすぐにできるんだということです。自分のやりたいことをただ単にやるということです。アクロバットというと非常に難しそうに見えるけど、入ってみると簡単なんだ、ということです。だから、どんな人でもすごい難しいことに思えてもやろうとすればできるんです。もちろん、根本的にできないことはできないけれども、やろうとする自由は誰にでもあるし、やろうとすれば結果もついてきます。誰もがトップ選手になれるなんて言いたいわけではなくて、だれもが自分に合った仕方で、自分のイメージを具現化できるし、する自由があると言いたいのです。宙返りできて楽しい、それだけでもいいじゃないですか。

Q:そう言われると、ずいぶんアクロが近くになったような気がします。アクロの体験飛行を桜井さんが行なっている映像をYoutubeで見ました・・・。体験する人が教官の前に乗っていました。梶さんがおっしゃっているように、門を叩けば体験できるということをやっているわけですね。
RedFoxも日常的に体験飛行をこなせているわけではありません。櫻井さんも神戸に住んでいて、板倉滑空場で体験してもらうことは大変なんです。私は札幌だし・・・。滝川のように、行けばすぐ体験できるよといういことではなくて、予め、連絡をいれてもらって、何ヶ月も待ってもらって、やっと実現するような状態なんです。

―どのくらいお金がかかって、どこで習えばよいかなど―

国内ではRedFoxの他にもいくつかアクロ機を運用しているグループはありますが、事前に申し込んでスケジュールを調整して乗せてもらうことになると思います。アメリカなど航空先進国なら、気が向いたときにフラッとスクールに行って乗せてもらうなんてこともできます。目指すレベルによっては、ロシアやヨーロッパに渡って本格的にやっている人と一緒に飛ぶ機会を得るのもいいでしょう。お金に関しても、その人のやりたいことによって1万円〜数千万円とかなり変わってきますので、簡単に言えないんです。関心のある方には、その人に合った訓練の始め方などを個別にアドバイスしています。

2013年10月2日水曜日

第4回全日本曲技飛行競技会

第4回全日本曲技飛行競技会(http://acroclub.com/jnac/
例年に引き続き、審判として参加しました。素晴らしい大会でした。
全国的に練習環境が整い始めたことを反映するかのように、選手全体の技量レベルが上がっていました。曲技飛行は練習さえすれば上手くなる・・・現実は単純明快です。
審判をやっていると、ついつい選手に感情移入してしまいます。クソッ回りすぎた・・・畜生!ラインがズレてる・・・。もちろん、誰が飛んでいるのかはわからない状態でみているのですが(一部の選手は機体でわかってしまうが・・・)、そんなことは関係なく、個別のパイロットや飛行機を超越した存在の意志のようなものを反映する感情の波に飲まれてしまいます。そんな感情を尻目に、点数は無情にも自動的に減算されていきます。最終的に現れた低い点数を見ると、やはり悲しくなってしまいます。上手く飛びたい、上手く飛んで欲しい、これは、飛行機、ジャッジ、選手達をすべてひっくるめた「飛行」そのものの願いなのかもしれません。
特に感動したフライトがいくつかありました。
一つはFA200の芸術的な飛行。この大会で使用されたFA200には背面システムがついておらず、マイナスGがかかるとオイルを吹いてしまうというディスアドバンテージの中飛んでいると聞いています。マイナスGを使えないとなると、キューバン8はおろか、ロール等の初歩的な課目ですら綺麗に見せることは不可能と思えるほどに困難になってくることは想像に難くありません。実際、ほとんどの選手のロールは悲惨だし、キューバンもほぼ課目として成立していないレベルでした。しかし、ある選手のフライトでは、それが驚くほどに見事に処理され、形になっている・・・!最小限かつ最大の効果を発揮するピッチアップでロールでのディセンドを抑え、不可思議とも思えるGコントロールでキューバンのループやラインを創り出す・・・不可能なはずなのに。驚きの飛行でした。職人芸・・・芸術・・・あの飛行を現す言葉はどこにあるのでしょうか。
もう一つは、デカスロンでインターミディエイトを飛んだ方のフライト。背面システムこそ備えてはいるが、パワーもロールレイトも圧倒的に劣る機体。スナップをやれば壊れるかもしれない軟弱な機体。にもかかわらず、美しいフィギュアの数々。ピッツやエクストラがどんなに華麗に飛ぼうが、私の中での優勝者はデカスロンで飛んだ方でした。飛行機が、生きていました。

飛行機が求める飛行を行なうこと。クラゲが水の表現であるように、重力と空気の表現である飛行機の本来を生きること。曲技飛行とは、そういったことであるように思います。